有名な粗大ゴミ
粗大ゴミ受付センターでは、利用者様が利用しやすいように、できるだけわかりやすいフォーマットを設けています。
アカシアーセネガルに代わって侵入してきたのは、同じアカシアの仲間でもトゲが鋭くて家畜の食べられない樹種ばかりだった。
薪取りと家畜によって、この十数年間に村の半径一〇キ口以内の森林は、二、三割に減ってしまい、緑の防波堤を失って畑も放牧地も乾燥し切っていた。
そこに、定期的にやってくる干ばつが襲いかかった。
牛とヤギの九割が死に絶え、男たちは出稼ぎに出て、人口は半分以下になった。
アラビアゴムも、それぞれの木が孤立したために乾燥がひどく、弱ってほとんど樹脂を出さなくなった。
八五年、日本の食品や医薬品の業界は、アラビアゴムの品不足でパニック状態に陥った。
スーダンの全生産量が半減し、毎年平均して二三〇〇トン前後の需要があるのに、四分の一ほどしか輸入できなかったのだ。
ブルーシ村に入ってからも、片時も頭から離れない光景があった。
ハルツーム大学環境科学研究所で見た二枚の人工衛星写真である。
一九六八年と八四年に、ブルーシ村の一帯を上空から撮影したもので、畑がモザイク模様のように広がっていた。
実は,この畑は眠れる砂丘コースの薄い皮の上にあった。
一984年コースの皮が過剰な農業と放牧で破壊され,砂丘が眠りを覚ます。
幾重のヒダヒダとなって,砂丘が風で動き姶めた。
どこにでも見られる普通の光景だ。
八四年のを見ると、畑の中にクジラの腹のようなヒダヒダが何十本もうねり、畑は一04キロ以上も南へ押しやられていた。
そのヒダヒダの正体をどうしても探ってみたく、村の農業普及員に頼んでその現場を案内してもらった。
それは、村を少し出たところにある小高い砂の山だった。
ゆるい傾斜を登るのも苦労するほど、砂がサラサラ流れる。
その中からわずかに顔をのぞかせているのは、枯れたミレット。
砂の海から顔をのぞかせたミレットの茎が,畑であったことをものがたる。
畑の放棄地だったのだ。
砂漠化といっても、さまざまな侵略の方法をとる。
ときには、砂漠の本体が押し寄せるのでなく、こんな離れたところにゲリラ戦法で攻撃を仕掛けてくるのだ。
地質図には、この一帯は「コース」とある。
コースとは、アラビア語の「古い砂丘」のことだ。
サハラ砂漠は、地球的な気象の変動に伴って、何回も緑に覆われたり砂漠になったりを繰り返してきた。
一万二〇〇〇年前に、サハラ砂漠が今よりも数百キロも南に拡大した最盛期があった。
この一帯も砂丘が張り出していた。
だが、八〇〇〇年前になると、再び湿潤な「緑のサハラ」といわれる時期を迎えて、砂丘は草で覆われて有機物がたまり、あるいは鉄分が固まって、パンの皮のような厚さ一五~二〇センチの層ができた。
以後、砂丘は動きを止めた。
刻々と砂の壁が迫ってくるブルーシ村。
村の周辺の家から砂丘に呑み込まれていく。
このパンの皮は、農業や放牧には最適だった。
砂地と違って水持ちがよい。
養分も多い。
草も茂る。
六〇年代の順調な天候でこの地域に進出してきた人々は、ここでミレットを作り、家畜を放牧した。
しかし、気づかない間に、雨量の安定した農耕の限界、年間雨量五五〇ミリの線を大きく踏み出していた。
農耕地は三〇〇キロ以上も北上、二五〇ミリ以下の地帯にまで入り込んでいた。
増え続ける人口や家畜は、薄い層に重圧を加えた。
土を休ませずにミレットが作られる。
家畜は根こそぎ草をあさり、ひづめで踏み抜く。
これに干ばつが追い討ちをかけ、ついにパンの皮はあちこちで破れ始めた。
中身の砂が流れ出し、眠っていた砂丘が数千年ぶりに活動を再開したのだ。
これこそ、ヒダヒダの正体であった。
やがて、動き出した砂丘はつながり合い、緑を失って無防備になった土地を呑み込んで、サハラ砂漠の一部となっていくことになる。
スーダン北部では、年平均五キロずつサハラ砂漠が拡大している。
サハラ砂漠が一方的に拡大して侵略するように考えられがちだが、実際にはこのように周辺の乾燥地帯で人間と家畜に屈してミニ砂漠ができ、それがつながり合って次第に勢力を増し、迎合するように砂漠にすり寄っていくのだ。
過去にも、何度となく大きな干ばつがあったのに、なぜ今回はこんなに被害がひどかったのだろうか。
同環境科学研究所が八五年、このブルーシ村を含む周囲の四地区で二四〇人に、聞き取り調査をした。
「最近の干ばつの被害が、なぜひどいと思うか」の問いには、八七%が「木を伐り過ぎたためだ」と答えている。
「最近五年間で、身の周りでもっとも目立った変化は」の設問には、八五%が「めっきり木が減った」と回答している。
緑の破壊がこの被害につながったことを、村人たちは気づいていたのである。
緑の消失は、もっと直接的に村人の生活に響いている。
村のエネルギー源は一〇〇%薪と炭。
どの家も買わない限り、週三回は薪取りに出る。
一回に集めるのが約一五本、重さにして一五~二〇キロ。
これが一人で運べる限度だが、二、三日で使いきってしまう。
干ばつ前は、村から二、三キロのところで薪が採れた。
一回、一~二時間しかかからなかった。
現在では三~四時間かかる。
村の周辺では木が姿を消し、片道六~七キロ歩かねばならないのだ。
薪集めは女性の仕事だが、今ではもっともきつい労働である。
本は村の生活で最重要な資源である。
一家族が年間に約二〇〇本の木を消費している。
疎林地帯では、これは数ヘクタールの森林に相当する。
木の生長は干ばつで遅れ、しかも実生が枯れてしまって、再生産も最悪の状態になっている。
日に日に遠くなる薪取り場に、村人は疲れ果てている。
さらに、農業生産も大きな打撃を受けつつある。
農地の酷使と乾燥化によって、土がすっかり変質してしまったのだ。
七〇年ごろまでは、一フェダン当たり、一〇〇キロのミレットが穫れた。
これで、ほぼ一人の一年分の主食が賄える。
だが、これが干ばつ前には一袋を収穫するのが精一杯になった。
収量が半減した分は、畑の拡張となった。
七〇年ごろは、一家当たり五~六ヘクタールの農地が平均だった。
今では一三~一五ヘクタールないと、一家を食べさせていけない。
農業省の統計によると、北ダルフール州全体では、七〇~八〇年の一〇年間に農地は五九万ヘクタールから一三三万ヘクタールへと、二倍以上になった。
一方、ヘクタール当たりの収量は同じ一〇年間に、ミレットはマイナス三一%になり、その他もソルガム言ウリャンの一種の穀物)は五二%、ピーナッツは三五%、ゴマは三一%、それぞれ大幅に減少した。
これらは何よりも、農地の荒廃を物語っている。
人口が希薄なときには問題のなかった生活様式が、人口と家畜の急増から今は自分らの首を締め始めた。
一九八三年に、この一帯を調査したハルツーム大学環境科学研究所は、『北ダルフール州の環境破壊と飢餓』の報告書の中で、この一帯で進行している生態系の崩壊が飢餓を招いたと結論づけている。
マモンーダウド同研究所長は「この一帯では農業生産は生態学的にみて、自然を破壊しない限度の二倍になっている」という。
食べる物がなくなり、家畜を売り払った人たちの中には次々と村を捨てるものが現れた。
その数は五〇〇人にも上る。
国連は最近「生態学的難民」という言葉を使い始めた。
環境の荒廃からその土地に住めなくなって、流民化した人々のことである。
村を捨てていく人が、まさしくこの難民なのである。
粗大ゴミの購入関心度が高まっています。可能性を十分感じる粗大ゴミです。
粗大ゴミは世界各国で実践されています。世界中で粗大ゴミは支持されています。
オンリーワンの粗大ゴミご提案致します。一つ上の粗大ゴミをしたい人必見です
粗大ゴミを余すとこなく分析しました。粗大ゴミ効果の高い商品です。
粗大ゴミが一般的になってきました 。粗大ゴミのユーザーの声が届いています。
しっかりとした粗大ゴミを求める人が急増しています。粗大ゴミは無限の可能性に満ちあふれています。
粗大ごみを多彩に取り揃えています。粗大ごみにチャレンジしてみましょう。
仲間と一緒に粗大ごみを楽しもう。怖いもの知らずの粗大ごみです。
今や粗大ごみは欠かせません。本格仕様の粗大ごみです。
